思いやりをもった言動を。

社会福祉を学ぶ大学生だった頃、大失敗をしたことがあります。アルバイト先の病院で、20年間も慢性疾患を抱えている40代男性の患者さんに出会ったときのことです。

その患者さんは、単なるアルバイト学生に過ぎない私にも、気さくに話かけてくれる人でした。ある日、彼が「明日、同窓会に行く」とぽつんと話してくれました。

私はなぜ彼のさみしそうな表情や、暗い口調に気がつかなかったのでしょう。同窓会は楽しいものという自分の尺度しか、物事を計れなかったのです。

安易に「わぁー!同窓会ですか、楽しんできてくださいね!」と言ってしまったのです。同窓会に参加した翌日、彼がひどく落ち込んで自殺を図ったことを知りました。

上司に「楽しい同窓会の後になんで自殺なんか?」と聞くと、「あなたは自分の尺度でしか考えてないのね!『同窓会=楽しい』というイメージは、貴方の尺度に過ぎない」と怒られてしまいました。

彼が自殺を図った理由は、「同世代の友人と自分を比較して、自分はなんて惨めなのか」と思ったからだったのです。同窓会で家庭を持ち、仕事で役職に就いている友人たちとの再会。それは彼にとってとても辛い出来事だったのです。

老親の年金収入で暮らしている自分との差を見せつけられ、「自分なんか生きていても仕
方ない」と思い詰めてしまったのです。

私は自分の言動の浅はかさ、人の境遇を想像する力がなかったことを思い知らされました。
上司からも「年賀状と同窓会」に注意するよう、こっぴどく叱られました。

人は誰しも、思い描く未来があります。何歳で結婚して、子供ができて・・など。病気は描いてきた未来図をずたずたに壊してしまうのです。

昔は同じスタートラインに立っていた同級生がどんどん前に進んでいくことに、嫉妬してしまうのです。学生だった私は、患者である彼のこころに、未熟な私は気がつくことができませんでした。

病気や障害を受け入れるのは、簡単なようでいて難しいものです。病気や障害によって、世の中のスタンダードな人生から外れてしまうからです。

闘病というでこぼこ道を歩くのは辛く、すべてを投げ出したくなるものです。医者や看護師、家族はでこぼこ道を必死に歩んでいる人の、よき理解者であることがベストです。

言葉ひとつが、闘病している患者の支えにもなり、絶望を生んだりします。患者さんのこころを知り、きっとこんな気持ちだろうと類推する力が医療関係者には求められていると思います。

私は今、事故の後遺症により、下半身が不自由な患者の立場です。学生時代に出会った患者さんの気持ちが痛いほどわかります。

患者の立場では出来ること・出会う人さえ少ないですが、人と話すときは相手の立場に立った言動を心がけていきたいと思います。