物事は変わり続け、時代が何千年という悠久の時を重ねても。

家の前にある田んぼで、田植えが始まりました。決して田舎に住んでいるわけではなく、住宅地に住んでいる私。
住宅地の中にぽっかりと田んぼがあるのも、面白いものです。5分でも歩けば、コンビニエンスストアが3軒もあり、人々は「現代の」生活を送っています。

田んぼの中からはケロケロとかえるの声が聞こえます。
近所子どもたちは虫取り網を持って、かえるを取ろうと必死になっています。
小さい頃、山に囲まれた地域で生活をしていた私にとって、この光景は郷里の山々を思い起こさせます。

「あの時はよかった」どの世代でも口にする言葉です。

言葉の奥には、急激な時代の流れを悲しむ思いが秘められています。
バブル時代を謳歌した人は、いまだにバブルを忘れられないといいます。
戦後の高度成長期を謳歌した人は、日本の景気がうなぎのぼりだった時代を懐かしく感じています。

懐かしのヒットソングを愛好する人たちが多いのも、自分にとって幸せだった時代を思い起こしたいからではないでしょうか。

「国破れて山河あり。城春にして、草木深し」と中国の詩人、杜甫は詠みました。
唐が戦争で崩壊してしまった。荒れ放題に荒れてしまったが、山や河は変わらず美しい。

現代を生きる人にとって、荒れているのは、都ではなく、自分の心かもしれません。
田畑で苗を植える人々の姿は、郷里を思い出させ、窓辺に座ってほほに感じる風はいつもやさしいのです。
私は、何もわずらうことなかった幼少期にかけまわった野山を思い出します。

目の前にいつ人間がどんな人間であろうが、風や遠くに見える山は決して変わりません。
人間は山を削り、海に人工的に陸地を作る時代になりました。
しかし、自然に人間が敵う日など来ないのではないか、と思います。

物事は変わり続け、時代は何千年という悠久の時を重ねました。
しかし、太陽は休むことなく動き続けています。天気が悪くなれば、雨が降ります。豊かな恵みを大地と人に与えてくれます。

人間が好き勝手に扱っているように思っている大地は、なんの前触れもなく動きます。
東日本大震災のような古今未曾有の大災害を起こすのです。

「天地に仁なし、万物を以て芻狗(すうく:わらで作った犬の模型)となす。」と老子はいいました。
天地に優しさなどない、万物をわらで作った人形のように、むげに扱うのだという意味です。

老子が生きていた時代から、自然は人の思い通りにならなかったのでしょう。
恵みを与えれば、災いを与える存在なもを、まったく変わりません。
好き勝手にころころ動く人間の心情とは違い、なにひとつ変わらない自然に心を動かされた一日でした。